初山祭り(検証編)
2005 年 7 月 14 日 04:53

昨年より参加し始めた近所の祭り。住宅街にある小さな神社にも関わらず沢山の屋台がズラリと並び、その賑わいようはちょっとしたものであり、また、お参りした子供たちは額に赤いハンコを押してもらうのが習わしらしく、何か不思議な感じがした・・。それらはしげっトちゃんの知的好奇心を大いにくすぐったわけで・・ここ1年ほど調べていたのです。

と、いうわけで、以下、検証結果要約

【1:仙波浅間神社の初山(はつやま)の祭りであること】
初山(はつやま)は、過去1年の間に結婚した花嫁や子供が出来た際に初参りする日。詣でた人には印が押される。また、土産にあんころ餅や団扇を買う習わしがある。
仙波浅間神社は、浅間信仰が盛んになった江戸中期に、『富士山本宮浅間大社』を勧請(分祀ではないよん♪)したものであり、開運、安全、安産祈願のための神社として建造された。また、この社殿は、古墳の上に建造され、社殿裏には富士山の火口を模した穴がある。更に、この仙波浅間神社に参ると富士山に登山したのと同等として考えられる。(要するに、ミニチュアの富士山を祀っているようなものか?)

 ◇ ◇ ◇
余談ですが、『せんば山の狸』の歌・・この『せんば』には熊本説と川越説がありますが・・どちらが有力か?といわれますと・・熊本に『せんば山』はない、川越には『仙波山』があり、そこに『仙波東照宮』が建造されている。それらを踏まえたうえで歌詞を検証すると『狸=仙波東照宮=徳川家康=徳川幕府』という図式が成り立たなくもない。ちなみに、この歌の由来は、川越の仙波山に薩長連合軍が倒幕のため駐屯した際に歌われたものらしいということ・・更に歌詞を検証してみると「あんたがたどこさ?」との質問に「肥後さ」と答え、その後「肥後どこさ?」「熊本さ」と問答していることから、肥後がこの歌の発祥地であった場合、このような質問自体が成立しないことになる。

他にも「肥後どこさ?」=「肥後ってどこさ?」という意味ではなく「肥後のどこさ?」という解釈もありますが、その場合、後に続く「熊本さ」という答えが成立しないのではないか?・・まぁ、この歌の発祥を『手毬歌』ではなく『問答歌』であるという説もあり、論争は絶えませんが・・・尚、『せんば』には『仙波』『船場』『洗馬』等の諸説あり、もう何がなにやら・・まぁ、その他の色んな伝承と同じく諸説あるわけで・・バルタン星人の由来論争と同く絶えることない論争ではないかと思う次第・・っというわけで、色々と検証した結果、しげっトちゃん的には、川越説が有力ではないか?と思う次第であり、バルタン星人の由来の解釈は公の場では止めた方が良いかと思い(後略)
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【2:木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)】
浅間信仰の総本山は『富士山本宮浅間大社』、その勧請として『仙波浅間神社』が存在するわけですが、浅間神は『木花咲耶姫』という神話上の女性。そういった縁で関東三大祭りの一つ である『川越祭り』に使われている山車の一つにも木花咲耶姫が祀られていたりします。(山車は通常、川越近辺のいくつか町に置かれており、木花咲耶姫の山車は仙波浅間神社の近くに置かれています)

【3:神話は大和へ】
ところで・・『木花咲耶姫』という御方、宮崎県にある『木花神社』や『都萬神社』にも祀られておりますが・・その経緯として、木花咲耶姫は、この辺りで『火照命(ホデリノミコト)』と『火須勢理命
(ホスセリノミコト)』『火遠理命(ほおりのみこと)』という神々をお産みになられたのですね。

さて・・『火照命=海幸彦』『火遠理命=山幸彦』と、いうことで・・木花神社一帯は古事記や日本書紀で有名な『海幸・山幸』物語の舞台でもあったわけです。また、『山幸彦=火遠理命=日子穂穂手見命(ヒコホホデノミコト)』となりますが、その御子息は『鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)』であり、『神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)』の御父上でもあります。神倭伊波礼毘古命こそが日本最初の天皇『神日本磐余彦天皇(カムヤマトイハレヒコノスメラミコト)=神武天皇』でありますね。要するに、『神武天皇は山幸彦の孫であり、木花咲耶姫の曾孫』ってことです。(ちなみに、木花咲耶姫は日本神話に登場する最初の男神『伊邪那岐命(イザナギノミコト)』の曾孫にあたります。)ちなみに、宮崎県の美々津って所は『日本海軍発祥の地』とされていまが、その由来は、この場所から神武天皇が大和へ向けて御船出されたという伝説からです。

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と、いうワケで・・宮崎はボクの故郷、川越は在住の地・・・そういった見地から、自分の中で『宮崎-富士山本宮浅間大社-川越・仙波浅間神社』という一本のラインが出来上がったのも、近所の祭りが発端であり、木花咲耶姫のお陰であり、云々・・。このラインを踏まえると・・「しげっトよ、次は富士山の近所に引っ越せ!」という暗示かも知れませんが、川越にはまだまだ知られざる歴史が数多く点在しており、それらを納得いくまで見極めるには、まだまだ当分はこの地に・・っというのもあり、今回書いた経緯にもあり、自分の故郷との縁を感じるこの地を気に入っておりますので、また来年も、再来年も、その次も初山に出掛けてビールを呑んだり、ビールを呑んだり、ビールを呑んだりしたいと思う次第。その傍ら散歩したり歴史探索したりするのもオツなもの。

勿論、まずは第一前提には、いつでも作品創りや仕事があり、生活がある。そこに好きな物をコレクションしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、川や神社を散歩しつつ、自分なりに歴史を検証したり、未だ未来を夢見たり、振り返らんでもいいような過去にまで浸る、そして、偶に気の合う者と酒を呑み語らう、そう書くと・・これから先、自分自身が静かに老いていく印象もありますが、そうもしていられない。やるべきこと、やりたいこと、知らないこと、知りたいこと、学ぶべきこと、反省すべきことは、まだまだ山ほどあるものだ。

そうやって、継続する先にある何かを知るためには、そうしていくしかないものだ。今の自分を乗り越えていくしかないものだ。到達点など望みもしない。誇れるものが何もないとしても、いずれ、心穏やかに在ればいい。などと話が逸れてしまったところで本日の日記はお仕舞い。
 ◆ ◆ ◆

尚、今回の検証はネットや各書物、現地の記述より拝借、検証、要約したものであり、その解釈や記述等に間違いがある場合が御座います。予めご了承下さい。

  • http://record-radio.net/MT/archives/2005/07/post_90.php

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